電王戦Finalが終わって数日経って、ふと将棋の「読み」ついて書きたくなった。
自分は下手の横好きでたまに将棋を指しているわけだけど、むかし「将棋に向かって座ってじっとしていて何考えてんの?」と聞かれたことが。確かに大会とか、TVで見ると将棋の盤面に向かってじっと座って、1手指すのに数分とか考えたりして「何考えてんの?」と思うのも無理ない気もする。
じっと座って考えている時は「読み」というのをしていて、たとえば、自分がこう指したら、相手はこう指してきて、さらに自分は…という事を延々と考えている。自分と相手の立場に立って、こういう順で指したら自分の方が良くなるか?をひたすら考える。PCが強いのは、計算量が膨大に使えてしかも電力の続く限り疲れを知らない。さらに感情的になる事も無いし(もちろん、指している時は、”えいやっ!!”とか、ここは引けないという事もある)。
これは自分が昔指して覚えているので、先手(盤の下)が自分で、後手(盤の上)は元奨励会のとある人のもの。自分は慣れない戦略を取ったせいで、陣形もバラバラでノーガード的な雰囲気もしてくる。けど、そんなに悪くは無いかな…とは思っていた。印象に残った棋譜はずっと覚えていたりする(大抵の段位者とかなら、勝負が終わったあと最初から再生して並べたり、目隠し将棋とかは出来ると思う)。
ここは後手の番で、動かす事ができる駒は持ち駒も入れて84通りもある。PC将棋でも平均して1回あたり80個の選択枝があるみたいで、例えば100手で勝負が決まるとすると、80x80x80…で約91桁分(100log80から)の計算量が必要になる。さすがにPCでも全部は読みきれないから、「枝切り」というので途中で読みを打ち切って、それ以上は読まないという実装をしている事も多い。
直近の5手だけ読むにしても、80x80x80x80x80 = 3,276,800,000でざっと32億通りかな。この中のほんの数個が良い手で、あとの32億手は悪手になる。選択肢だけから考えると、何本も並んだ針の穴を通すような”作業=読み”が必要になる。
ただ、人間の場合は「さすがに、その順は無いだろ…」といった手を最初から考えない事で、そんな数十億もの手を一気に省略することができる。
例えば上記の局面から、自分は△2七飛と指してくるだろうと考えていたし、実際そう指してきた。一見すると、次に△2六飛成りでなんとなくまずい、防げないかも…という気もしてくるけど、▲6五桂からの逆襲で△2七飛を空振りさせる事ができると読んでいた。
実際は、△2七飛▲4九飛△4五歩▲6五桂△同銀▲4五飛△8八角成▲同玉△3二角と9手ほど進んで、次の局面に。
ここで、次に▲4三歩とか▲4六飛▲1八角から飛車を取りにいく順や、▲2二角とかが見えて「これはまだまだ戦えるかも」と判断していた。この「この局面で自分の方が良いか悪いか?」という判断(大局観と言ったり)をしながら、1つづつ読んでいく事になる。その読んでいる間は頭だけ動いている状態で、すごく集中していると音は聞こえないし、数分考えていても感覚的には”ほんの一瞬”にしか感じられないような事がままある。自分がこう指したら、相手はこうかなー、「うーん、次はどう指すか、こっちの分岐はどうかしら?いや、ちょっと前に戻ってこの形だとどうかな。何か変だな…ちょっと違う手も考えてみるか…etc」という事を延々と。
実際この後は、▲4六飛△5四桂▲4五飛△2六飛成▲4四角△2四飛▲6二歩△5一金右▲4三歩△6六歩▲6五飛△6七歩成…と進んでいった。自陣の乱れっぷりと、少し破られたら即負けみたいなこの緊張感が堪らなく心地良かった。
将棋の最初の盤面はこんな感じでお互い同じ状態で始まる。
読みと判断(大局観)で優った方が勝つわけだけど、読みはまるで自分と相手との対話のようで、「この人だったらこうかな…」とか思いながら、1手づつ話しているような。勝負が終わって感想戦でお互い話してみると、「なるほどね」と思うことも多々ある。あと、鋭い着手だったり、やたら攻撃的だったり守りが堅かったり…性格なのか考えが盤面に出てきて本当に面白い。