確か将棋を覚えたのは小学校4年の時だったと思う。
それから36歳になる今年まで、26年くらい指し続けていることになる。そう思うと凄く長い間、これほどひとつの事をやってきた物は無いかもしれない。
小学校の頃は負けて泣いたのを覚えている。もちろん今でも負ければ悔しい。
ただ、負けという事に対して悔しいというよりも、自分の考えていた展開が上手くいかなかったり、良いと思って決断した一手が覆されたり、結果に至る過程で検討した内容が「敗北」という形で分かるとき、心から自分の不甲斐なさを悔やんでしまう。
将棋から得た所も多い。
限られた時間の中で何かしらの決断を自分しなければならない。ありがちな会議のように、問題先送りや調整していきましょう、といった答えがぼやけるような事はできない。必ず何かしらの意味付けた解に基づく一手を決断する。指さないでいたら当然、負けになる。
指し手は大抵の場合、最初の第一感で指すことが多いかもしれない。最初に浮かんだ1手をベースに読みを入れて、まずい場合は途中の展開を変えて読んだり、それでもダメそうなら最初の1手を変えて読んでみる。この繰り返し。
良い悪いの判断は大局観。全体を見渡して状態の良し悪しを評価する。目の前に見える状態(盤面)よりも、次にこう指して、この手があって・・・と頭の中で先の状態を想像しながら、その時の全体的な評価を下していく。
もちろん終盤のように局地的な所もある。ほんの1手の差で勝ち負けが決まるような場面では、指し手も限定されて玉を中心に局地戦になる。こういう緊迫した場面では1手のミスが命取りで、良い感じで進めていたのに、あっという間に負けてしまうことも。
更に序盤は全体的に構想力が必要だと思っていて、9x9の盤面上にどうやって自分の思いを表現して指し進めるか?相手がいる中でプランを練る。駒がぶつかって本格的な戦いになるまで、戦術(定跡)や作戦を進めていく。
中盤では大局観が大切になるけど、勝負手や相手にゲタを預けるような場面もある。勝負手は形勢が悪い時、逆転を狙って「相手のミスを誘うような」手を指す。「決断の一手」とか言われることも。
冷静に対応すれば大丈夫な訳だけど、思いがけない一手が出てくると対応を誤ってミスをすることもある。これは自分が狙って指す時もあるし、指されるときもある。
優勢になったら負けないという訳でもないし、不利だからダメだ・・・ということもない。誰だってミスはする。優勢になったら、それをキープしてゴールを目指し、不利になったら時こそどうやって今までのミスをリカバリするか、時には思い切った決断をすることもある。
こう考えると、何かのプロジェクトを進める時に似ている。全体のプランや構成を考えながら検討を進めて、全体を取りまとめながら局地的な部分についても先を読んで想像しながら、判断を下していく。
ただ、緊迫した場面では決してミスは許されない。
それとは反対みたいだけど、人間は必ずミスをする。ミスをしない事はありえない。そして、ミスをした時にすぐ「間違った」と気づけば良いけど、多くの場合は物事が進んだ結果として分かる。
そんな時は「あの時違った決断をしていれば・・・」と落ち込むより、状態をリカバリするように決して諦めないで、改善するように決断を下し続けるしかない。
恐らく棋力(将棋の力)なら、20代前半の時が今よりも圧倒的に強かった。
ただ、指し続けた経験は大局観に現れて、「何かこの局面は悪いような気がする・・・」と判断&察知する力は今も培われていると思っている。
将棋盤を向かって、1手づつ相手と指し進めると、相手と対話しているような感じになる。思いや考えが指し手として表れて、盤面に1手として表現されるから当然と言えばそうなんだけど。誰でも勝負だから負けたくは無いから、上辺の言葉じゃない、本心からの対話なんだと思っている。
穏やかそうな人でも、ノーガードで殴り合いとか、論理と意地の張り合いになったりもする。
じっと座って9x9の盤面を挟んだ対話は色々なドラマがあって、本当にエキサイティングで楽しい。
それから36歳になる今年まで、26年くらい指し続けていることになる。そう思うと凄く長い間、これほどひとつの事をやってきた物は無いかもしれない。
小学校の頃は負けて泣いたのを覚えている。もちろん今でも負ければ悔しい。
ただ、負けという事に対して悔しいというよりも、自分の考えていた展開が上手くいかなかったり、良いと思って決断した一手が覆されたり、結果に至る過程で検討した内容が「敗北」という形で分かるとき、心から自分の不甲斐なさを悔やんでしまう。
将棋から得た所も多い。
限られた時間の中で何かしらの決断を自分しなければならない。ありがちな会議のように、問題先送りや調整していきましょう、といった答えがぼやけるような事はできない。必ず何かしらの意味付けた解に基づく一手を決断する。指さないでいたら当然、負けになる。
指し手は大抵の場合、最初の第一感で指すことが多いかもしれない。最初に浮かんだ1手をベースに読みを入れて、まずい場合は途中の展開を変えて読んだり、それでもダメそうなら最初の1手を変えて読んでみる。この繰り返し。
良い悪いの判断は大局観。全体を見渡して状態の良し悪しを評価する。目の前に見える状態(盤面)よりも、次にこう指して、この手があって・・・と頭の中で先の状態を想像しながら、その時の全体的な評価を下していく。
もちろん終盤のように局地的な所もある。ほんの1手の差で勝ち負けが決まるような場面では、指し手も限定されて玉を中心に局地戦になる。こういう緊迫した場面では1手のミスが命取りで、良い感じで進めていたのに、あっという間に負けてしまうことも。
更に序盤は全体的に構想力が必要だと思っていて、9x9の盤面上にどうやって自分の思いを表現して指し進めるか?相手がいる中でプランを練る。駒がぶつかって本格的な戦いになるまで、戦術(定跡)や作戦を進めていく。
中盤では大局観が大切になるけど、勝負手や相手にゲタを預けるような場面もある。勝負手は形勢が悪い時、逆転を狙って「相手のミスを誘うような」手を指す。「決断の一手」とか言われることも。
冷静に対応すれば大丈夫な訳だけど、思いがけない一手が出てくると対応を誤ってミスをすることもある。これは自分が狙って指す時もあるし、指されるときもある。
優勢になったら負けないという訳でもないし、不利だからダメだ・・・ということもない。誰だってミスはする。優勢になったら、それをキープしてゴールを目指し、不利になったら時こそどうやって今までのミスをリカバリするか、時には思い切った決断をすることもある。
こう考えると、何かのプロジェクトを進める時に似ている。全体のプランや構成を考えながら検討を進めて、全体を取りまとめながら局地的な部分についても先を読んで想像しながら、判断を下していく。
ただ、緊迫した場面では決してミスは許されない。
それとは反対みたいだけど、人間は必ずミスをする。ミスをしない事はありえない。そして、ミスをした時にすぐ「間違った」と気づけば良いけど、多くの場合は物事が進んだ結果として分かる。
そんな時は「あの時違った決断をしていれば・・・」と落ち込むより、状態をリカバリするように決して諦めないで、改善するように決断を下し続けるしかない。
恐らく棋力(将棋の力)なら、20代前半の時が今よりも圧倒的に強かった。
ただ、指し続けた経験は大局観に現れて、「何かこの局面は悪いような気がする・・・」と判断&察知する力は今も培われていると思っている。
将棋盤を向かって、1手づつ相手と指し進めると、相手と対話しているような感じになる。思いや考えが指し手として表れて、盤面に1手として表現されるから当然と言えばそうなんだけど。誰でも勝負だから負けたくは無いから、上辺の言葉じゃない、本心からの対話なんだと思っている。
穏やかそうな人でも、ノーガードで殴り合いとか、論理と意地の張り合いになったりもする。
じっと座って9x9の盤面を挟んだ対話は色々なドラマがあって、本当にエキサイティングで楽しい。



Leave a comment